豚肉とあさりのアレンテージョ風前日話

 これは、豚肉とあさりのアレンテージョ風を作る前段階の話です。

 ウィリアム・ギャディスの『JR』という金融ブラックコメディの邦訳が一昨年ようやく出た。多くの人と同じ殊能将之が日記で本書を知り、邦訳は8000円以上するのでホイホイ本を買うわたしでも少しためらい、けれど、これを逃すともっと高値がつきより手を出しにくくなるとだろうと、えいやと買った。900ページ以上あるのでやっぱり物理的に読むのは一苦労なのだけど、パラパラめくったり眺めて喜んだりしてるだけでとても楽しいのだが、せっかく買ったのだから誰かに自慢したい。なので、積読会で「ほらすごいでしょ?」と見せびらかしてわたしだけ大変満足したのだけど、なぜか殊能先生の日記の話になって、ああそういえば、日記に書いてあった料理を作ったりしたなと思い出した。たしか、殊能先生はよく料理に関する記述をしていて、そのなかに豚肉とあさりを炒め煮みたいにした料理があって大変おいしそうだった。わたしは、これを初めて作った時にはイタリアでは肉と魚介を一緒に料理しないと知らなかったのでイタリアとかの料理なのかなとか思いながら作って食べて、ワインを飲んだりして満足していた(本当はポルトガル料理)。

 で、久々に作ろうと検索をして、豚肉とあさりのアレンテージョ風という名前だと判明したわけなのだけど、ついでに、わたしは殊能先生の創作レシピをさらに創作してなぜか勝手にトマトを加えていたことも分かった。なんでこんなことになったのかというと、おそらく何度か作るうちに「トマトを入れてみたら美味しいかも?」とか考え、その結果に満足してそのままトマトを加え続けていたのだろう。わたしは、トマトを加えればたいていのものは美味しくなると思っているし、自分で食べて満足するから。豚肉、あさり、トマトの組み合わせはまずくなるはずがない。でも、せっかく殊能先生の日記の話をしたのだからなるべく本来のレシピに忠実に作ろうと、この料理の元ネタであるらしい玉村豊男の『料理の四面体』を読んだ。

 結論から言うと、『料理の四面体』に豚肉とあさりのアレンテージョ風は出てこない。おそらく書籍だと『健全なる美食』の方なのではと思う。けれど、この本はとても面白い。第一章を例にすると、まず、筆者がアルジェリアで食べた羊肉のシチューの話から始まり、いかに一見適当に作られた調理法が理にかなっているかを説明していく。ここで筆者が述べる調理法というのはたぶん自分で料理をする人はなんとなく身に着けていたり、あのレシピだと同じことをやっていたなと思い浮かべるような類のものだったりする。具体的には、汁に浸して煮る前に肉などの煮るものを焼く。なんだったら焼く前にお酒などでマリネしておく。そして、しっかり焼いてから煮る。煮る際には、鍋などにこびりついた焦げをこそげ取る。それも旨味になるから。だからちょっとくらい焦げてしまっても鍋に肉がくっついてしまってもあんまり気にしなくていい、という話は『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』にも書かれていたはずだ。

 たとえばわたしはビーフシチューを作ることは好きなのだけど(作るのは好きだけど何日も食べるのは好きじゃない)、ほぼここで述べられている手順を踏んでいる。あと、豚の角煮とかもそう。だけど、この調理法で「ああだからわたしはこの作り方を選んでいたのだ」と一番思ったのはアクアパッツア。魚をそのまま煮るやり方もあるけれど、アクアパッツアを作るとき、わたしはいつも魚を焼いてから煮る。焼いてから取り出して、白ワインとトマトを入れてくたってきたらアサリを入れて魚を戻して、温まったら食べる。いままでなんとなくやってきたことの一部の理由が分かるのはとても面白いし、こうした手法をほかにも応用することが可能だとするこの本の趣旨は料理の世界が広がる。

 あと、わたしの持っている『中公文庫』のまえがきには「いまから三十年前、東京都港区三田の明王院というお寺の境内にあるマンションの一室で、三十四歳の私は、料理本がいっぱいの本棚に囲まれながら、この本を書いた」(p. 3)とある。その上で、調理手法を応用するという文脈で「ソース・クルヴェット・シャンピニョン・ピーコック」(p. 35)というソース名を筆者はつけているのだけど、このピーコックというのはスーパーマーケットの名前で、おそらく魚籃坂のピーコックのことではないかと思う。いまはできないけれど、わたしはあのあたりをよく散歩していて、住んでいたマンションというのは桜田通り沿いのやたらお寺のある一角なんだろうなとか、思い出した。

 ただ、帯についている「料理本にして「論理的思考が学べる奇跡の書」とか全く余計だと思いますけどね!論理的思考を学びたければ野矢茂樹の本とかいろいろあんじゃないんですかね!

 

 

JR

JR

 

 

 

殊能将之 読書日記 2000-2009 The Reading Diary of Mercy Snow

殊能将之 読書日記 2000-2009 The Reading Diary of Mercy Snow

  • 作者:殊能 将之
  • 発売日: 2015/06/25
  • メディア: 単行本
 

 

 

 

料理の四面体 (中公文庫)

料理の四面体 (中公文庫)

  • 作者:玉村 豊男
  • 発売日: 2010/02/25
  • メディア: 文庫
 

 

 

健全なる美食 (中公文庫)

健全なる美食 (中公文庫)

  • 作者:玉村 豊男
  • 発売日: 2002/11/01
  • メディア: 文庫