勉強するとか研究するとか

 あいかわらず続けているオンライン積読会というか本の話をする集い、前回は英語学習本をテーマに話をした。いままで散々小説の話をしていたのに、なぜ突然英語学習本なのか?それは毎回参加しているうちのわたしを含めた3人がなんだかんだずっと英語を勉強しているからだ。なので、英語学習本定番ものについて話したり、変わり種を教えてもらったりしてた。たとえば、わたしは『どんどん話すための瞬間英作文トレーニン』があまり好きではなくて、なぜかというと「あのきれいな女の人は誰ですか?―スミスさんです」とか全然楽しくない。でも、わたしは喋るの、特に雑談みたいなのが全然できないからこういうのをやった方がいいのでは?という気もするんだけど、なんでこんなに英語の能力が読み書きとリスニングに偏重しているかというとそれが楽しかったからで、「このりんごはあのりんごより大きい」とかやってるとだんだん飽きてくる。楽しくない。そして、どうせ日本語でも相当親しくないと雑談とかできないし、第一言語でできないことは第二言語でもできるわけがないのでは?どうせわたしは雑談のできない女と開き直ることになる。このように「退屈だから好きじゃない」と話したら、友人が筋トレ感もそれなりに重要なのでは?と言っていて、そういわれると確かになとなるわけだ。大学受験時に桐原書店の英文法とかの参考書をたまに無心でやってたし、あれは確かに筋トレっぽかったし、なんだかんだ覚えているしと、あまり気が付いていないだけで、あの筋トレの蓄積がいまにつながているはず。だから、後日、『瞬時英作文』を本棚の奥から机の横に移動させた。まだやってないけど。

 で、わたしたち3人がごちゃごちゃ話しているのを聞いていた別の友人が終盤にボソッと「大人でもこんなに勉強するんだ」と言っていて、そうか!世の大抵の大人は勉強しないのか!となった。もちろん、全くしないと思っているわけではなくて、わたしたちのように英語などの他言語を勉強している人もいるだろうし、資格や昇進のために勉強したりもするだろう。というか、「大人でもこんなに勉強するんだ」といった友人も勉強をどの範囲でとらえるかによっては勉強していることになるのではないかと思う。

 そして、じゃあ勉強するってなんだよと疑問がわくわけだ。わたしはたぶん大人になっても勉強している部類に入る。だいたい論文を書いたり(というか書こうと努力をしたり)、書くために別の論文を読んだりしているから。あと、いわゆる仕事をしている時も、仕事をしてるんだか勉強をしてるんだか研究をしてるんだかよくわからないような時がある。勉強はわかっていることを学ぶことだけれど、研究はわかっていないことを発見したり解決したりすることなどと両者の違いが説明されるが、じゃあ、わたしが日常でしていることはこんなにきっちり分かれているのか疑問だ。

 英語学習本の会で話したようなことはたしかに勉強していると言える。でも、仕事で訳語を考えるときはなんなんだろうと思う。それは「仕事をしている」なのだといわれるとそうなんだけど、これまでどう訳されてきたのかとか調べたりもするわけで、自分の専門と違ったりすると「こんな話があるんだ」とciniiとか検索しだすので、わたしとしては勉強してる感がなくもない。論文を書く時もそう。関連論文を読んでいるときは研究しているのか?それとも勉強しているのか?わたしにはどちらでもあるような気がしてしまう。だって、他人の論文を読んで理解しようと努めるわけだからこれは先ほどの区分でいうと勉強になるのではと思うし、でも論文を書くために読んでたりするので「なるほどこの著者はこう議論してるのだな」と把握するだけじゃなく、これが自分の議論にどう使えるのかとか考えるわけで、それは研究に近いのではないかという気がする。じゃあ、論文を実際に書いている時はどうかというと、これは勉強しているのではない。でも研究しているのかと問われると困ってしまい、「書いている」というのが一番しっくりくる。もうちょっと詳しく書くと「書かなければならないことがあるのだけど、それを言い表したり説明したりするための適切な言葉を考えたり何度も書き直したりしている」になる。

 あと、本やドラマや映画をきっかけに論文を読みだしたりする。たとえば、コニー・ウィリスの『ドゥームズデイ・ブック』を読めばペストの歴史研究の論文を掘り起こしてくるし、「ブレッチリー・サークル」を観れば戦中の労働力としての女性に関する文献を探すし、『ブラックアウト』と『オール・クリア』を読めば戦中の生活のイメージを確認したくて「刑事フォイル」をまた観る。この時わたしはなにをしているのか?趣味の時間を過ごしているのだけど、なんだかお勉強っぽいことがそのすぐ隣にあるし、さすがに歴史研究はできないけれど「ダイエットランド」を観てファット・アクセプタンス運動の文献を読むと、なんとかしてこれで一本論文をかけないものだろうか?と皮算用というか、貧乏くさいことを考えたりしてる。

 だから「大人も勉強する」問題を考えると、じゃあわたしはいつも何をしているのだろうか?勉強してるのか?研究してるのか?なんなんだ?と混乱する。で、いまのところ、わたしが質問に答えるとしたら「なにか読んでるか、なにか書いてるか、なにか観ている」になる。少なくとも、ここに混乱はないし、嘘もついていない。

 

 英語学習音の会で話に出た面白そうな本が軒並み絶版なので、話に出た本張り付けると味気ない。

 

DUO 3.0

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  • 作者:森沢 洋介
  • 発売日: 2006/10/25
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