おばあさんと若い娘が事件を解決する

エリザベス女王の事件簿 ウィンザー城の殺人』を読んだ。ウィンザー城内で殺人が起き、警察やMI5はロシアのスパイの犯行とみなすが、エリザベス女王の見立ては違う。そこで、女王は、女性秘書官補の助けを得て、事件の真相を明らかにしようとする。

聡明な老婦人が若い女性の助けを借りて、殺人事件の真相を暴くと言えば『パディントン発4時50分』である。パディントンでは、ミス・マープルの友人が殺人を目撃するも「空想と現実をごっちゃにしている(おばあさんがよくやるやつ)」と相手にしてもらえない。エリザベス女王も本書である意味「相手にされない」。周囲のスタッフからすると女王はお守りすべき存在である。なにせ高齢の女王であるので、ご心労をかけないような対応をする。しかし、これは裏を返すと、問題を解決するために意見を出し合うような対等者として存在してないということだ。たとえば、MI5の長官は女王のことを「現代社会の複雑さを理解できるはずがない」とみなしていると女王は思っている。

パディントンでのミス・マープルとその友人もたいがいは対等な存在とみなされない。マープルの友人は、殺人を目撃したと訴えても、話をまともに取り合ってもらえない。おばあさんの空想だと思われる。しかし、マープルは、現実社会とそこに生きる人間をよく理解している。彼女は、友人が現実と空想を混同するような人ではないと判断し、実際に殺人が起きたのだろうと推測する。しかし、たいていの人は、おばあさんの話を取るに足らないものと思い込むので、このおばあさんたちの声は聞こえない、聞く必要のないものとみなされている。マープルたちの話を聞いてくれるのは、マープルの能力を正当に評価できる人だけだ。

一方、女王は違う。彼女の声は大きく、周囲に強く影響を与えるだろう。だから、エリザベス女王は真相にたどり着くも、彼女の口から事件の詳細が明かされたりはしない。なぜなら、彼女は女王だからだ。一方、パディントンではミス・マープルの口から事件の全貌が明らかにされる。話をまともにとりあってもらえないおばあさんが事実を突き止めて事件の詳細を明らかにする。『エリザベス女王の事件簿』も『パディントン発4時50分』も聡明な老女が自由が利かないので若い娘の手を借りて事件の真相を暴こうとするお話である。しかし、両者の声は大きく異なる。