「セルフケア」にうんざりしている

 「セルフケア」にまとわりつかれてうんざりしている。感染症が流行っているので身を守るために手洗いうがいが推奨され、こうした非常事態での心身の疲労を軽減するためのノウハウがあっちこっちで書かれて読まれる。在宅勤務になったらワークバランスをどうとるかは課題になるだろうし、それでも通勤を余儀なくされているのであれば感染症対策だけでなくストレスと向き合う方法を見つけたほうがいいのだろうし、四六時中誰かが家にいると家事労働担当者は疲弊するので、自分の面倒を誰かに一方的に負担させるのはやめたほうがいいだろうし、昼間から酒は飲まないほうがいい。

 たとえば、わたしはずっと家で仕事をしてるので、せめて朝起きて夜寝る生活は崩さないほうがいいし、頻度を上げずに野菜とタンパク質が摂取できるように買い物をした方がいいし、スーパーマーケットから帰ったらシャワーに直行した方がいいのかなと思うし、普段は帰宅時に30分くらい歩いてるけどそれがなくなったから少しは体を動かしたほうがいいけれどいまは足を怪我しているからラジオ体操の椅子に座る版でもやっとくべきかとか考える。あと、普段は半分くらいは無視する親からの電話にもちゃんと出て、家族だからお互い気にかけて心の支えとなってる感をだして親密っぽく見える行動をとった方がいいんだろうなとも思う。

 けれど、正直、「ケア」から距離を置きたい。怪我してるから誰かに買い物に行ってきてほしいし、ごみ捨てもやってほしいし、自分で包帯を巻くのは一苦労だ。じゃあ、わたしの世話をしてくれる誰かがいまこの家にいたらどうだろうかと想像すると、ぞっとするし、窓から飛び降りて逃げ出したくなる。わたしはわたしの面倒をみるのがすごくめんどくさいけれど、誰かに面倒をみてもらうのもいやだ。だって少なくともいまのわたしは自分でどうにかできるから。誰かにしてもらったら気をつかう、というか、他人がこの家にいると気をつかうから、多少の不便を我慢する方がずっとまし。

 「ケア」と聞くと逃げ出したくなる理由の一つは、世話をしてもらうとケアテイカーである時に不愉快さがよみがえるからだと思う。基本的に、女性はケアテイカーの役を担わされがちで、単に自分で自分の面倒をみているだけの時にもケアテイカーとしての能力を勝手に測られたりする。毎日自分のお弁当を持っていくことは誰かの食生活の面倒をみることは別だし、わたしがお弁当なのは昼食にコストをかけたくないからだし、自分で自分のために食事を作るけれど他人のために作るのは好きじゃない。

 それと、おそらく女性の方がセルフケアに関していろいろ要請が多い。服装とかスキンケアとか体重管理とか、他人から健やかな人間とみなされるためのたくさんのハードルを乗り越えなきゃいけない。しかし、このハードルの高さはそこそこでなくてはいけなくて、たとえば、わたしが朝顔を洗ってそのまま出かけるといえば紫外線対策の必要性を説かれるだろうけれど、全身ドゥラメール使ってますと言ったら「そこまでしなくてもといわれるかもしれない(高級ラインに関する知識が貧困なので他にもっといいたとえがあるとはずだと思うけど出てこない)。自分で自分をケアする話なのになんで他人が入り込んでくるのかね?

 最近のポップカルチャーでも「セルフケア」がキーワードの一つで、クィア・アイ」とか「ル・ポールのドラァグ・レース」などのNetflixで人気の番組も、鬱々としたラッパーもスターになったアジアのボーイバンドも、全部この要素が入っている。ファブ5はイケてるし、ル・ポールと一緒に「If you don't love yourself, how in the hell you gonna love somebody else?」と唱えてしまうし、メンタルヘルスの問題はだれでもぶつかる問題だ。でも、親切にもセルフケアの大切さを啓蒙してくださると、もういいよ分かってるしやってるよと言いたくなる。そういうの、トイレの後に手を洗わないような人たちに言ったら?

 しかし、うんざりだけど、わたしの面等はわたしがみるので、今日も明日も自分の食事を作るし、朝起きて夜寝るし、怪我した足がむくまないよう足を上げて机に向かうし、慣れない包帯を巻く。