日常のごはんを作る

 この日記を書き始める少し前にポトフを作って食べたいという欲求がどこからか湧いてきて、いきなりポトフを作り、最終的に原理主義的ポトフにたどり着いた。最近だと、殊能先生の日記で知った豚とアサリのアレンテージョ風を3回作った。具体的には、わたしが勝手にトマトを加えていた版と殊能先生の日記を思い出して作った版と豚肉をパプリカでちゃんとマリネした版だ。豚肉とアサリなので余程のことをやらかさない限りどれもおいしいし、これからもたまに作ると思う。でも、これらはすべてわたしにとっては非日常のごはんで、イベントとして料理の料理である。

 特に意識したわけではないけれど、在宅勤務になってずっと家にいるから大嫌いな家事と隣り合わせの生活になり、日常の雑事のわずらわしさから離れたくて、わたしはこうした料理を作るのだと思う。といっても、実際の家事なんて特に増えてない。わたしは一人で暮らしているから誰かが家にいることでの負担はせいぜいクイックルワイパーの頻度が増えた程度だし、なにをどうしようと自分のためにするので、家事に追いつめられることはないはずだ。だいたい、わたしはなによりずっと一人で家にいるのが好きなので、家事のわずらわしさと相殺してもよさそうだ。でも、一人でも家で仕事や研究をしていると大嫌いな家事がずっとこっちを見ている。たとえば、以前なら、お昼はお弁当を持っていっていたので食べた後にウェットティッシュでさっと拭いて夕飯後の洗い物までお弁当箱のことを忘れていられた。でも、いまだと、お昼ごはんを食べ終えた後の食器がすぐそこのキッチンに放置されるわけで、洗わなければ!と駆り立てられる。同様に、洗濯物も週末にまとめてすればいいという状態から、今日わたしは洗濯をした方がいいのではないだろうか?と平日に考えてしまう。これが本当に面倒で嫌でうんざりする。気にしなければいいと言われればそうなんだけど、何事も気にする気質なので気にするなとか無理で、ちょこちょこ家事をやって、疲弊する。だから、ごはんを作るという必要に迫られた行動を特段必要でない感じにしたいのだと思う。

 でも、こうした生活の中で、いままで作っていたようなごはんを食べると本当においしいなと思う。もちろん、ポトフも豚とアサリのアレンテージョ風も十分おいしいのだけど、塩麹につけた肉やら魚を焼いて、えのきとネギで味噌汁を作って、ゆでたブロッコリーやトマトつけるとか、そういうのはおいしくて安心する。こういう食事が必要。パセリを刻むのが面倒なのだけどトマトとパセリのサラダが好きなのだけど、上記のトマトがこういうサラダになるとワインを開けるかという気分になって楽しい。あと、アスパラガスとしいたけを塩コショウで痛めただけでなんでこんなにおいしいのだろう、このままずっとビールを飲みながらこれを食べていたいとか思う。

 こうやって、家事にうんざりしてイベントとしての料理に逃げて、ああわたしが毎日お弁当とかで作ってた料理はそれなりにおいしいのだなと思い、また週末にイベントとしての料理をするのだろう。